自分で決めた体外受精8回という回数制限の最後の1回が終わってしまった時のために、いまからやめる覚悟をしておかなければと、ネットで他の人の妊活をやめたきっかけややめどきなどを参考にみたのですが、同じように悩んでいる人が大勢いることがわかると同時に、考えても答えは出ないことがわかりました。やめてもいいのか考えるのではなく、もう嫌だ、もうやめたい、などの理由でみんな自分で決めている、これは自分で「決める」しかないんだ、と悟り始めたちょうどその頃なんとなく、妊活を続けるべきなのかも?不妊治療を再開しようかな、と自分から思えるようなきっかけ、運気のようなものがいくつか重なって起こりました。
恩師との再会、背中を押された言葉
わたしが人生の恩師と勝手に呼んでいるかつての上司との再会の場がありました。数年ぶりに集まったのはそのかつての上司からの「もう自分も何年生きられるかわからないから、逝った後であの世で後悔しないように会っておきたいと思う人に積極的に連絡しているんだ」というたっての希望だったのですが、いざ会ってみたら80過ぎのおじいさんとは思えないご健在ぶりでした。
そしてわたしの結婚について心から祝福してくださり、ひとしきり結婚の話題が終わったと思ったところで次は子作りの話になりました。
今の時代、会社の上司・部下の関係で子供は作らないのかなどという話題はセクハラに触れてしまうかもしれないので、ましてわたしのような高齢だといろいろ事情がある可能性は高いわけですし絶対タブーのはずなのですが、上司はセクハラなどとは無縁の時代の方なのでガツガツ来ます(笑)!
わたしはその話題については全然不愉快に思うことはなかったのですが、その場にはもうひとりわたしのほかに呼ばれた同僚もいたので体外受精などの入り込んだ話は言いだせずにいると、「いまは医学も発展していて、いろいろな高度な方法で助けてくれるから、病院に相談に行きなさい」としきりに勧めてくださいました。
「でも、もうかなりの高齢なのでいろいろ難しいんです。病院でも様々なリスクなどの話をされて尻込みしちゃったりとか・・・、そもそも子供がいたほうがいいのかもわからないでいるので、そんなわたしのところには子供もきてくれるわけはないの(かもしれないです)・・・」
と話し終わったか終わらないかのうちに大きな声で、
「子供は絶対に産むべきです!!絶対に産みなさい!高齢なんて今の医学でなんとかしてくれるから。そんなリスクの話などして脅かしてくる病院は自信がないのでしょうからほかの病院に行きなさい!セカンドオピニオン、サードオピニオン!!子供は絶対にいたほうがいいに決まってる!」
意見を誰に聞いてもみんな、きっとわたしに子供ができなかったときのことを考えて、「いたら楽しいけれどその反面大変、いないならいないで楽しい人生を送ればいい」といった配慮に満ちた言葉をくれたのですが、この上司にそんな繊細な配慮などありません(笑)、ここまではっきりと強く、子供は絶対にいたほうがいいだのと言った人はほかに誰もいませんでしたが、実はこれがわたしが欲しかった答えだったんだとわかりました、背中をドシッ!!!と押されました。
実はこの上司は不運な事故で突然に奥様を失い、その後心の病気を患ってやむを得ずの形で会社を引退されたのです。それまでエリート&出世街道の優秀な方だったのでそんな終わり方は考えてもいなかったと思います。奥様も失い、仕事も失い、そんな時強い支えになってくれたのはご子息様、お嬢様、お孫様たちだったとのこと、ご家族の支えがあったからこそこうして心の病気も克服して元気にやってこれたのだと。「絶対に子供は産むべき、子供は絶対にいたほうがいいに決まってる」この言葉はそういうご自身の体験からきた言葉なのでした。
「でも障害のある子供だったとしたら自分がいなくなったあとのことも心配だし、高齢だとそういう障害のことを考えないといけないみたいで・・・」とそこについての言葉も頂戴したくて言ってみると、
「今の医学は本当に素晴らしいんですよ、たいがいの障害など治してくれます。治せない障害だってあるだろうけれど、障害があっても自分の子供は可愛いはずです、そしてその子を育てることであなたはさらに強くなっていくでしょう。あなたはそれだけの力があります。」
なんだかよくわからないけど勇気が湧いてきました。あらゆる障害について知って言っているわけではないだろうけれど、そうやって家族でもないわたしに子供を作ることを強力に勧めてくださり、そして長年ずっと欲しかった答えと勇気をがっつりくださったことに心から感謝しました。
不妊治療費助成金制度の変更
不妊治療費の助成金の制度の条件が変わることになり、当時の不妊治療中の人に対して移行期間の暫定措置として確かその1~2年に限った現行の条件とは違う条件が与えられ、結論としてわたしは翌年に2回だけ助成を受けられるとわかりました。翌年のその次の年はもう対象外だったので、やるなら翌年にあと2回!それもいままで1回15万円だった助成金が25万円にひきあがったこともあり、与えられたあと2回分の権利、やるしかないでしょ!と思いました。
自分で決めた8回という回数制限まで残るはあと1回のはずでしたが、この制度変更の暫定措置をきっかけに翌年にあと2回=トータルで9回ということになったわけですが、これは自分で納得の上での変更でした。
長年担当したいわくつきチームから抜け出せることに!
本当にヘビーなお仕事だったのでこのプロジェクトの内容を知っている人は誰もやりたがらず、やむなくわたしが長年ずっと担当してきたのですが、ここにきて、違う部署からわたしと同等のキャリアの方が異動してくることになりました。キャリアがあってもその方のタイプによっては依頼できないというような内容だったのですが、その方はわたしと同タイプのガツン系、初めてこの方ならこのプロジェクトにも立ち向かってくれるかもしれない、この人しかいないと思えた方でした。
いざこの方にどのプロジェクトを担当してもらおうかという話し合いになった時、わたしの考えを提案してみたところ、最初は上司も部署のみんなも想定外だったようで驚いていましたが、徐々に同意してくれました。
そして晴れてわたしは長年見てきたヘビーなプロジェクトばかりが集結したいわくつきのチームから抜け出せることになったのです。辛かったけれどそれだけに思い入れもありました、やりがいもあったのでさみしい気持ちもありましたが、この人を逃してはいけないという気持ちと、これは数年来ぶりの転機のチャンス、運気のようなものを感じました。
ここでストレスフルの仕事から少し離れて穏やかな気持ちで不妊治療を再開したら、もしかしたら今までになかった結果を得ることができるかもしれない、なんだかそんな気がしてきました。
このあとこんな運気の流れに加え、「自分はどうしたいのか」「本当に子供が欲しいのか」という気持ちにはっきり気づくことのできたある事件が起こりました。また追って別の記事で書きたいと思います。
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