母親が嫌い&合わないと思われる方へ伝えたい!同じ時間を一緒に過ごせるのは今だけ!

その日の朝早く、珍しく父からの着信がありました。実家の固定電話からではなく父の携帯から、それも何度もかかってきているので操作ミスやかけ間違いではなさそうです。いつも家の用事だと母が連絡してくるので、母からではなく父からの連絡となるともしや母が事故にでもあったか?ケガをして運ばれて入院とか?いや、親戚の不幸か?身近な親戚が何人か入院したりしているし、いずれにしてもなんかよくないことのような気がしてなにやら胸がざわめきました。

その日は突然に 

その日は突然にやってきました。いつかは来るものだと覚悟はしていたつもりでしたが、とてもとても現実として受け入れられるものではありませんでした。
 
父の携帯に電話をかけなおすとすぐにつながり、いつもの父の声、でも早朝にも関わらずまったりとした空気がありません。
 
「電話くれた?どうしたの?」
 
「あぁ!よかったつながった!あのね、ママがね、しんじゃった!」
 
「・・・!?えっ!?うそでしょ?!」
 
「ほんとだよ!朝なかなか起きてこないからおかしいなと思って見に行ったら・・・、いま警察の人が来てていろいろ対応してるからまたあとで!」
 
耳を疑う言葉に自分はどうしたらいいのかわからず、しばらく立ち尽くしてしまいました。どういうことだ?!数日前のわたしの誕生日におめでとうのメールをくれたばかりなのに??
 
実家までの2時間弱、うそだうそだうそだうそだ・・・・ずっとつぶやいていました。だけどつぶやいても頭の中できっと現実なんだって理解してしまっているようで走馬灯のように母との想い出や、母にやってあげられなかったこと、かなえてあげられなかったこと、後悔がどんどん浮かんできてしまいます。電車の中でも人の目構わず泣いて泣いて泣きまくりました。
 
携帯には知らせを聞いた親しいいとこから連絡が入ります。
 
「落ち着いてね」「気を確かにね」「できることなんでも言って」
 
やっぱり現実なんだ。いやだいやだいやだいやだ・・・。。実家に近づくにつれて現実を目の当たりにするのが怖くなって実家にいつまでも着かなければいいのに、なにをしたらいいのかわからない、どうしたらいいのかわからないといとこに返信すると、
 
「早くおばちゃんのところに行ってあげて」「抱きしめてあげて」
 
と返事がきました。泣きじゃくっているうちに電車が最寄り駅についてしまいました。怖いけど、いかなければいけないんだ。
 

母のことが嫌い、合わない、長女と母親はぶつかる?

長女は母親とそりが合わないと耳にすることがあります。同性だとどうしても厳しい目を持ってしまうということも聞きますが、わたしの場合、長女だったからということなのかはわかりませんが、わたしは母が自分にばかり厳しいように感じて大人になってからもずっと母親のことが嫌い、合いませんでした。
 
決して虐待されたとかいうことでもなく、ひどい母親だったということでもありません、母の深い愛情を感じることも当然何度もありました。ただわたしが実家にいた30歳ころまで家で顔を合わせれば喧嘩、毎日のようにぶつかっていて、その頃は本当に大嫌いでした。ちなみに伯母から聞いた話では母は祖母と女友達のように大変仲がよかったようで、わたしに厳しく当たったのも自分の幼少期の環境が影響したわけでもなさそうです。
 
いま自分で子育てをする立場になってみて思うのは、わたしは幼少期から母のスパルタ教育を受けていつも常に怒られていて、甘える&甘えられる間柄ではなかったことが厳しかった理由、そしてわたしが反抗心を持ってしまった理由だったのではないかと思います。子供のころのわたしはそういった高度な教育よりも、単純に母とのスキンシップや誉め言葉、笑顔が欲しかっただけだったのではないかと。
 
母も母親として未熟だった部分もあったのだとは思います、幼かったわたしから見ても母のやり方を理不尽だと感じることもありました。でも母がわたしの母になったのは20代前半、今のわたしにとっては娘のような歳のころです、未熟な部分があっても当然です。でも感情が幼稚なままだったわたしはそんな母親を見て理解することもできあうに、自分は母親みたいな大人にはなりたくないとさえ思う瞬間もあり、大人になってからも母に本気で腹を立てて怒鳴りあうこともしょっちゅうでした。
 

関係修復のきっかけ

そんな毎日のようにぶつかり合っていた母とわたしですが、ある時をきっかけに徐々に関係が修復していきました。それはわたしが家を出たことでした。距離を置いたことで日常的な些細な喧嘩をする原因がなくなり、憎しみさえ持っていた母に対して、これ送ってあげたら喜ぶかな、これ好きだったよな、食べさせてあげたいななどと思うようにもなりました。それでもたまに会うと会った瞬間に喧嘩になったりして一気に関係がよくなったわけではありませんが、久しぶりに電話したりあったりするとわたしが優しい口調で話したり笑顔で話したりするきっかけを得られやすくなり、というか以前のトゲトゲした話し方や表情がどういうものだったのかわからなくなって、伯母からも「最近あなたが優しくなったってママ喜んでいたよ」などと間接的に耳にしたりするようにもなりました。
 
そしてこのブログにもいくつか書いてきましたが、母が急に弱ってきたりとか、自分がもうそんなに長くないというようなことを口にするようになって、母との時間は永遠ではないんだということを意識してからは、少しでも母の喜ぶことをしてあげたい、母との時間をなるべく増やしていこうと思うようになりました。この期間がほんの数年でもあったことを心の底からよかったと思っています。もしこの期間がまったくないまま母がいなくなってしまっていたら、わたしは今よりもものすごく大きな後悔を背負ってこの先の一生を過ごすことになったと思います。
 

いなくなって気づく、母の愛

わたしのごく近い友人で、母親ともしくは父親とそりが合わない、疎遠でいるのがベスト、と言っている人がパッと思いつく限りでも3人います。なのできっと世の中にもそういう方は少なからずいるのではないかと思うのですが、特殊な例は除き大方の場合、自分の子供に愛情を持たない母親なんていないと思うのです。おそらく愛情の表現の仕方がわからなかったとか、そういう心の余裕がなかったなど、お母様にも不器用だったり未熟な部分があったのかもしれません、でも愛情は間違いなくお母様の心の中にあります。それが表現されないと感じても子供側から汲み取ってあげるという方法もあると思います。わたしは人間が未熟すぎてそれができませんでしたが、同じような人がいたら強く、強く、伝えたい!
 
母親(父親)を失ったら、頭に浮かぶのは母の(父の)いい思い出と、自分の中の後悔だけ。
そして残された部屋から出てくるのは母の(父の)愛情を示すものばかり。
 
長い間、母との関係が良くなかったわたしなのに、母を失った後に思い出されるのは母との楽しい時間、母の笑顔、母の喜んでくれた場面、全部いいことばっかりで、大嫌いだと思っていたころの感情などひとつも思い出しもしないんです。あえて思い出そうとしても逆にその時の母の感情を思い測ることさえできます。あんなにヒステリックに夕方実家に着いたわたしに怒っていたのもわたしに早く長く会いたかっただけなんだ、食べろ食べろとあんなにうっとうしかったけど自分の作った美味しい料理をわたしに喜んでもらいたかっただけなんだ、あんなにスパルタ教育だったのも、わたしにまっとうな人生を送ってほしいと期待してくれていただけなんだ、母のどの言動にも共通して言えるのは全部わたしへの愛情、わたしと一緒の時間を過ごしたかった、わたしに喜んでもらいたかった、そんな気持ちばかりが溢れています、それなのにわたしはそれに腹を立てて母にきつい言葉と背を向けていた。なんてバカだったんだろう。
 
そして整理する部屋からは、わたしへの愛情に満ちたものが続々と出てきます。毎日使う鏡台の引き出しの中からわたしの母子手帳とへその緒が出てきました。成人して20余年も経つわたしのこんなもの、どこか奥にしまい込んでいてもいいものなのに毎日使う鏡台の引き出しに入れていたなんて。母子手帳にはわたしの成長や予防接種の記録などこと細かく母の字で書かれていました。わたしのことを憎んでいるのかとさえ思っていたのに、こんなにも想ってくれていたんだ、そんなことを失った後から知るんです。
 
母と離れられたことを喜んでいた一人暮らしを始めたばかりのあの頃、2年も実家に顔を出さない時もありました。あの2年をいま取り戻せたら、母にどれだけのことをしてあげられるだろう、どれだけ喜ばせてあげられるだろう、どれだけ一緒の時間を楽しく過ごせるだろう。
 
憎みたいならお母様やお父様がいなくなった後にいくらでも憎めばいい、失った後にはいくらでも時間があります。好きなだけ距離を置くことができます。
 
でも一緒に同じ時間を過ごせるのはお母様やお父様がご存命の今だけなんです。愛情を伝えられるのも、直接笑顔が見られるうちに存分にしておきたいじゃないですか。ぶつかり合っていた相手と関係がよくなるのはとても気持ちがいいものです、それが血がつながった親子ならひときわその喜びも大きいはず。
 
わたしに妊活再開の勇気をくれた恩師が親と合わないと言った同僚に対して言っていました。
 
「親子の関係修復にきっかけなど要らない。ある日突然でいい、あなたから動けばいいんです。誕生日が近ければ誕生日に、敬老の日、父の日母の日、いや何の日でなくてもいい、『育ててくれてありがとう、これからも元気でいてください』と伝えなさい。言葉で伝えるのが難しければカードを送りなさい。突然でびっくりされてもいい、必ず喜んでくれます。」
 
恩師が息子さん娘さんからしてもらって嬉しかったことを思い浮かべていたのだと思います。お願いとも思えるような言い方でした。わたしもそのお願いしたい気持ちわかります。わたしのような後悔をする人がひとりでも減りますように、どうかこれを読んでくれた人でわたしと同じような状況の方がいらしたら、どうかお願い、お母様お父様にどんな非があったとしても許してあげて、あとでその気持ちは理解することができるから、そしていますぐにお母様やお父様に感謝の言葉を伝えて距離を縮める第一歩を急いでほしいと思います。

現場検証

ドラマで見たことがあるような、頭と足にビニールのカバーをかけた警察の方が大勢実家に出入りしていました。現場検証の結果としては事件性はなく、解剖しない限り現場からは本当の原因も突き止められないということから書類には『虚血性心不全』と書かれました。「心臓への血流がなくなって心肺停止に至った」という、亡くなった原因というよりも結果を名前にしたような呼び名だなと思いました。
 
糖尿病で通院していた病院にも警察から問い合わせをしたらしいのですが、糖尿病の状態や血圧なども命を落とすような状態にはなかった、医者としてはそれは原因とは考えにくいとの回答だったらしく、ただ解剖して原因を突き止めたところでなにがどうなるでもないと辞退して、結局原因不明でその名前が書かれました。
 
亡くなる前日も父とふたりで元気に古い友人たちとの食事会に出かけたんだそうです。その時の写真を葬儀の時にいただきましたが、母は無邪気な笑顔で元気に大きな口をあけてフグをほおばっていました。昨日あんなに楽しくあんなに元気だったのに?!その場にいらしたお友達の方々みなさん葬儀に来てくださり驚いていました。
 
病気で長く入院したりしてお金や世話で負担をかけたり、認知症や障害で体が不自由になって介護などでパパや子供たちに世話をかけたくない、といつも言っていた母、最期の1年でいろいろやり残しがないようにと急いだかのように長年会えていなかった人に会ったり、断捨離をしたり、保留事項を片づけたりして、立つ鳥跡を濁さずがごとくきれいに潔く、そして突然に、母は飛び立っていってしまったのでした。
 
 

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