それは終活?次々と身辺整理を進める母!【こいぬのくんくん】の絵本の想い出と記憶

 
体調もすぐれない、意欲も湧かない、食欲もない、目も見えない、そんな状態でどんどん弱っていく母にレバコールを勧め、糖尿の数値も正常な人の少し上くらいの数値に劇的に改善、電話口の声も元気な声に戻り一安心したのですが・・・ 

弟家族の七五三の家族写真に入り込む両親

当時弟家族は、ふたりの子供が男の子5歳、女の子3歳とふたりともが七五三という年で、家族写真を撮りに行くと実家に来ました。その時私も実家に顔出したのですが、なぜか両親とも正装の準備をしています。
 
あれ?弟家族4人で撮りに行くんじゃないの?と義理の妹に聞いたらちょっと図星だったようですが、「あ、でもどうせなら一緒に撮っちゃっても・・・」みたいな感じで、急遽ジジババも加わった6人写真を撮ることになりました。
 
母「遺影に使ってもらえるようにきれいなお洋服を着るの」
 
父「そうだな。ちょうどよかった!遺影用に撮ってもらおう!」
 
まぁ、老人夫婦の間ではこういう冗談のやり取りはよくあることなのかもしれませんが、わたしの中でいろいろ母に対しての心配事が積み重なっていた時だったのでまた嫌な予感と感じてしまいました。
 
きれいなお洋服と言って持ってきた母のとっておきの白いブラウスのリボンを結んでほしいと頼まれ結ぼうとすると、胸元に小さな黄色いシミがついてしまっていることに気づきました。食べこぼしとかではなく、新品でも真っ白い洋服を長くしまっておくとどうしてもついてしまう黄色い点々、あれ、何なんでしょう、虫のフンとかなんでしょうか、とてもすぐには取れそうにないシミだったし、写真には写らないだろう小ささだったし、母には見えていないようだったので言わないでおきました。
 
写真館でやることのなかったわたしは甥っ子姪っ子を笑わせようとカメラマンの後ろで変なポーズをしたりしていたのですが、肝心な子供たちは無表情で写ってしまったのですが、代わりに大人たちがいい笑顔で撮れたようで、母もとても美しく写してもらえて安心しました。
 
先日の富士山をバックにした伯父との写真の母があまりにも透き通るような生気のない顔に写っていたのですごく心配していたのですが、まぁその日は母も体調よさそうだったのもあるけど、やはりさすがプロなんですね。
 
富士山をバックに伯父と写真を撮った時の話はこちら ↓
 

「こいぬのくんくん」の絵本を読み聞かせる母

わたしが小さいころに母がよく読んでくれた「こいぬのくんくん」「くんくんとかじ」という絵本がありました。
 
くりかえしくりかえし読んでくれたのでわたしはすぐにその文章を覚え、母の読み聞かせの声の真似をしてたどたどしく言葉を発していたのが可愛くて可愛くて、と大きくなってからも何度も何度も聞きました。
 
その本はボロボロになってしまっていましたが、わたしが大人になっても母はずっと大切にしていました。そしてこの甥っ子姪っ子の七五三で集まった時に母はその本を押し入れから出してきて、これを甥っ子に読んであげたいと言いました。
 
甥っ子は5歳、甘えん坊な気持ちもあるくせにもう甘えるそぶりは恥ずかしい年頃みたいで、本当は母は昔わたしにしてくれた時のように甥っ子を自分の膝に座らせて読んであげたかったようなのですが、甥っ子は逃げ回ってしまったのでやむなく横並びに座って読むことになりました。
 
母が読み始めた文章は、わたしの記憶に残っていました。小さいころに読んでもらって以来、おそらくずっと読んでいなかったのに、その時わたしも空で言えるくらいにちゃんと記憶に残っていました。
読み聞かせる母と照れかくしでギャーギャー笑いながら、でもそのうちに話に聞き入り始めた甥っ子のふたりの背中をわたしはじっと見つめていてふと、これは写真に残したい!と思っておもむろにスマホで写しました。
 
すると・・・逆光だったからそうなってしまうのは当然と言えば当然なのですが、、母と甥っ子の顔は暗く、それは仕方ないとして、母の頭の上に光が重なってしまって、まるで後光のように写ってしまったんです。。それはそれで綺麗なのですが、とても綺麗な写真なのですが、、
 
富士山をバックにした伯父との写真が透き通って写っているように見えてしまって以来、母を写真に撮ることになんとなく尻込みしてしまっていたのですが、先日の七五三の写真で綺麗に映っていたので安心をとりもどしていのに、またなんとも言いようのない不安な気持ちになってしまいました。
 
甥っ子は結局、大勢の大人の中で自分だけ赤ちゃん扱いみたいにされたのが恥ずかしかったのだと思うのですが、途中で立ち上がって逃げてしまい残念ながら読み聞かせは最後まで行かなかったのですが、でも母は心底可愛がっていた甥っ子にその本を読んであげられたことを、なにかひとつ達成したがごとく嬉しそうにしていました。
 

ねえちゃんに会いに行く

レバコールを勧めたとき、「これを毎日飲んでたら必ず元気になれるから、老人は足腰が弱ってしまったら一気に年老いていくから、まずは歩くこと、少しの距離でもいいから必ず毎日外に出て歩くこと、そうしたらお腹も減るだろうから」としつこく歩け歩けと言ったんです。
 
これは後日伯母から聞いたのですが、母が急に「ねえちゃんに会いたい」と連絡して、ひとりで片道2時間かかる他県の叔母の家に電車で行ったらしいのです。
 
伯母が最寄りの駅まで車で迎えに行くと言ったのに、「大丈夫。道はわかるから歩いていく。」と普通に元気な人でも徒歩で30分はかかる道のりを歩いてきたのだと。
 
レバコールで体力は取り戻していたとしてもあの目の見えない状態で、一歩一歩足を前に運ぶような歩き方なので、その母の足だと1時間はかかったと思われるのに、わたしの言いつけを守って頑張ったのかもしれません。
 
特に何の話をするでもないけれど、会いに来ることが目的だった様子で満足げに帰っていったと伯母が言っていました。
 
いつも行くときは父と一緒に車で行っていたのに、ひとりで電車で行くなんて線路に落ちでもしたらと思うと怖くてそれを聞いたときは身震いしてしまいました。
 

断捨離、ピアノの処分

少しずつ家の中のものを減らしていきたいから了解してほしいと、実家にあったグランドピアノを処分すると連絡がありました。わたしが12年使った古いピアノです。母はわたしをピアニストにしたくて3歳の時から高いお月謝を払って習わせてくれましたが、わたしは小さいころから高校生になってもその気持ちへの感謝に気づくことなくやらされている感の方を強く感じてしまっていて、ほかのお友達みたいに普通に勉強がしたい、ピアニストじゃなくて普通のOLになりたいなどと言って母の意に反して辞めてしまいました。でもピアノは捨てきれず、ずっと取っておいてもらったのですが、誰も弾かない古いピアノ、処分することにそれ以上反対はできませんでした。
 
「今日、ピアノ、引き取られていったから。」
 
母がさみしそうな声で電話してきました。ちょっと涙をこらえているような声に聞こえました。
強がりなわたしはいつも母との電話口では強気な偉そうな口調で話すのが常なのに、この時は少し素直な気持ちが出てしまって、
 
「最後に、一度だけ触りたかったな・・・」
 
とつぶやいたら一気に涙が出てきてしまいました。電話の向こうの母に悟られないように声を押し殺して泣きましたが伝わってしまったようで、 母ももう抑えが効かなくなったかのように涙声になり、
 
「あなたはきっとそういうと思った。。そんな気がしたからママが代わりに最後に触っておいたからね。」
 
「うん。。ありがとう。。」
 
ふたりで電話越しに泣きました。
 
なんなんでしょう、あんなにイヤイヤ習っていたピアノ、母と喧嘩ばかりしていた原因でもあったピアノ、嫌で辞めてしまったピアノなのに、母との何かが終わってしまうかのような気持ちになり、そしてそれを最後に触りたかったという気持ちがテレパシーのように母に伝わったことについてもわたしの感情を強くゆさぶるものがあって、電話を切った後にベッドに突っ伏して思い切り泣きました。
 

結婚式代として渡そうとしていたお金

弟の結婚式の時にも出したようで、わたしが式を挙げるときにも渡そうと思っていたのにあなた結婚式はしなかったから渡したいと言われていたお金の話があったのですが、別にいま取り立ててまとまったお金を使う話もないし、生活費なんかで消えてしまうのは嫌だったし、正直そういう約束を急いで済ますのはなにか終わりに向けた準備のようにも感じて嫌だったのでまだまだ先に必要な時にもらえればいいからと言って先延ばしにしていたのですが、母とわたしがふたりきりになったとき、それを早く渡したいと改めて言ってきました。
 
でもこの時はなんとなく、逃げちゃいけない気持ちになりました。終わりに向けた準備のように感じてしまうけれど、別に受け取ったから終わるわけではない、母がこれだけ何度も言ってくるってことはずっと心に引っかかってしまっていて落ち着かないんだろうと感じたのと、なんとなくいま受け取らないといけないと感じたのです。
なので、じゃあもらっておこうかな、と言ったら、またひとつ課題が片付いたかのように母の顔がパッと明るくなって銀行口座を伝えたらもう翌日には入金していました。
 
 
なにか、ひとつひとつ、まるで終活のように、人生でやり残すことがないようにとも取れる様子で片づけていく母を感じるのが辛かったのですが、間違いなくいつか終わりは来るのは確か、それは認めざるを得ない事実、そして母がそういう姿勢でいるのであればわたしも目を背けず話についていかなければいけない、覚悟して受け入れなければいけないと強く感じたのでした。
 
しかしこれが長い闘病生活で入院中で余命あと半年なんてお医者様から宣告されているならまだしも、年老いて弱ってはいても一応命に係わる病気をしているわけでもないのに、人は自分の終わりを察する直感みたいなものがあるのかな?と不思議になるくらいに母はいろいろ次々に片づけていったのでした。
 

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